今回の登場人物
アメリカの成人向け娯楽雑誌『PLAY BOY』の創刊者ヒュー・ヘフナーさん。彼が発行した『PLAY BOY』は、ピーク時には716万冊以上の売り上げを記録する程の人気を博し、アメリカの文化にも多大な影響を与えてきました。『PLAY BOY』の成功で莫大な資産を築いた彼は、大豪邸に住み、たくさんの女性たちとの恋愛を楽しむなど、派手で煌びやかな生活をしていたことでも有名です。意外なことに、2017年に逝去した彼の生涯最後の恋愛は、復縁の末に実ったものでした。
名実ともに『PLAY BOY』だった彼が、最後に選んだ女性はどんな人だったのか。また、どのようにして復縁に至ったのか。気になりますね。
二人の生い立ち
1926年、 アメリカ・シカゴで、ドイツ系とイギリス系の血を引く父とスウェーデン系の母のもとに生まれたヒュー・ヘフナーさん。第二次世界大戦で軍役に就いた後、『エスクァイア』などの雑誌でライターを務めていましたが、1953年に『PLAY BOY』を発刊すると創刊号から大人気となり、一躍有名となりました。この雑誌の成功により、プレイボーイ社はクラブ経営・アパレル・カジノなどの様々な分野に進出。『PLAY BOY』は世界でもっとも有名なブランドの一つとなりました。
巨額の富を築いたヒューさんは、『プレイボーイ・マンション』と呼ばれる大豪邸に住み、雑誌『PLAY BOY』のコンセプトを体現するかのように、様々な女性たちとの恋愛を楽しんでいました。常にブロンドの美女たちに囲まれていることから、一部では『2000人斬り』の噂が囁かれていたそうです。また、ヒューさんは女性と遊ぶだけではなく、将来を誓い合うこともありました。2017年に91年間の生涯を閉じるまでに、三回の結婚を行っています。
そんな彼の最後の奥さんになったのは、クリスタル・ハリスさん。1986年、アメリカのアリゾナ州で生まれました。『PLAY BOY』でモデルを務め、2009年12月には『今月のプレイメイト』に選ばれる程の美貌の持ち主ですが、ヒューさんとの年齢差はなんと60歳もありました。
ヒューさんが亡くなるまで、添い遂げたクリスタルさん。しかし、お二人は一度破局しています。破局してしまった二人が、添い遂げるまでに一体どのようなことがあったのでしょうか。
出逢いから破局に至るまで
お二人が出会ったのは、2008年。『プレイボーイ・マンション』で開催されたハロウィンパーティーにクリスタルさんが参加したのがきっかけでした。それ以来、クリスタルさんは『プレイボーイ・マンション』に出入りするようになり、2010年12月に一度目の婚約をしました。クリスマスにヒューさんからプロポーズされたクリスタルさんは喜びの涙を流しながら承諾したそうです。
それから半年後の2011年6月には結婚式を挙げる予定となっていましたが、挙式の5日前に二人の破局が発表されました。
破局の理由について、クリスタルさんは「彼にとって、私が唯一の女性じゃなかった。それに気付きながらの結婚に納得ができなかった」と語っています。婚約中のお二人は、『プレイボーイ・マンション』で暮らしていましたが、そこには『プレイメイト』と呼ばれるヒューさんのガールフレンド達も同居していました。クリスタルさんはそれがわだかまりになっていたと話しています。
その他にも、厳しいルールの下での暮らしも嫌になっていたとのことで、クリスタルさんは婚約破棄と同時に『プレイボーイ・マンション』から出て行ってしまいました。『プレイボーイ・マンション』では、なんと門限が午後6時で、週末に家族や友人に会いに行くためには外出の許可が必要だったそうです。好きな人と豪奢に暮らすことができても、このようなルールがあると息が詰まってしまいそうですね。
Photo:Andy Brunner